古民家のお風呂、いまむかし
古民家のお風呂というと、「五右衛門風呂」を想像する方が多いのではないでしょうか。
私たちも、てっきり五右衛門風呂こそが古民家のスタンダードだと思い込んでいました。
年期の入った桧作りの浴室に、お湯をなみなみとたたえた五右衛門風呂。高い梁を見上げながら湯にとっぷりと浸かれば、ああ極楽じゃ極楽じゃ…古民家の“入浴シーン”って、たぶんそんなふうなんだろうなぁ、と勝手に想像していました。
ところがどっこい、現実はまったく違ったのです。
古民家探しをして信州のあちらこちらを訪ね歩いた私たちの経験では、古民家のお風呂は、ほぼ“タイル張り”。
まれに壁と天井、床がタイルで浴槽だけFRP(またはステンレス)というところもありますが、浴槽まで含めて丸ごと“タイル張り”の家が大半でした。
言ってしまえばベタな昭和風です。ダサいし、時代ものなのでたぶん水漏れはするだろうし、冬場は冷たそうだしで、正直、こいつは頂けないな、と思ったものです。
じつは古民家の多くがタイル風呂なのには、理由がありました。
もともと農村地帯の民家の多くには風呂場が付いていなかったのです。
もっと言うなら、初めから風呂場も便所もなかったのです。
風呂桶や雪隠(せっちん)は、母屋の外の別棟に設けられていました。別棟というと聞こえはいいですが、ただの掘っ立て小屋だったり、場合によっては野天だったり。水回りは敷地の隅っこのほうに追いやられていたのでした。
でも、それではあまりにも不便だったのでしょう。時代が下って母屋の土間を一部仕切ったりして、そこに風呂場や便所などを設(しつら)えるようになりました。
たぶん、現存する農村地帯の古民家の多くは、戦後、母屋をリフォームして風呂場を追加したのだと思います。
当時は家庭用のユニットバスなんて存在しませんでしたから、在来工法のタイル張りで作られたのでしょう。
それがそのまま使い古され、現在に至ったというわけです。
ちなみに、購入当時の我が家には水場がありませんでした。
風呂や便所や竈(かまど)は母屋の隣の東屋にまとめられていたらしいのですが、家の横を走る道路の拡幅工事に伴って潰されてしまったという話でした。
風呂もトイレも台所もなくては暮らせません。空き家になってから10年間も売れ残っていた最大の理由が、水場がないことでした。
そこで仕方なく、広い土間の一隅を仕切って、洋式トイレとシステムキッチン、そしてユニットバスを新設しました。
でも、便器とシステムキッチンとユニットバスを取っ払ってしまえば、また元のだだっ広い土間に戻ります。その気になれば150年前の姿に戻せるようにしたかったのです。
伝統家屋としての“素の姿”を見失わないようにリフォームや再生を図るのが、かつてこの家を建てた人たちへの敬意だと思っています。
私たちも、てっきり五右衛門風呂こそが古民家のスタンダードだと思い込んでいました。
年期の入った桧作りの浴室に、お湯をなみなみとたたえた五右衛門風呂。高い梁を見上げながら湯にとっぷりと浸かれば、ああ極楽じゃ極楽じゃ…古民家の“入浴シーン”って、たぶんそんなふうなんだろうなぁ、と勝手に想像していました。
ところがどっこい、現実はまったく違ったのです。
古民家探しをして信州のあちらこちらを訪ね歩いた私たちの経験では、古民家のお風呂は、ほぼ“タイル張り”。
まれに壁と天井、床がタイルで浴槽だけFRP(またはステンレス)というところもありますが、浴槽まで含めて丸ごと“タイル張り”の家が大半でした。
言ってしまえばベタな昭和風です。ダサいし、時代ものなのでたぶん水漏れはするだろうし、冬場は冷たそうだしで、正直、こいつは頂けないな、と思ったものです。
じつは古民家の多くがタイル風呂なのには、理由がありました。
もともと農村地帯の民家の多くには風呂場が付いていなかったのです。
もっと言うなら、初めから風呂場も便所もなかったのです。
風呂桶や雪隠(せっちん)は、母屋の外の別棟に設けられていました。別棟というと聞こえはいいですが、ただの掘っ立て小屋だったり、場合によっては野天だったり。水回りは敷地の隅っこのほうに追いやられていたのでした。
でも、それではあまりにも不便だったのでしょう。時代が下って母屋の土間を一部仕切ったりして、そこに風呂場や便所などを設(しつら)えるようになりました。
たぶん、現存する農村地帯の古民家の多くは、戦後、母屋をリフォームして風呂場を追加したのだと思います。
当時は家庭用のユニットバスなんて存在しませんでしたから、在来工法のタイル張りで作られたのでしょう。
それがそのまま使い古され、現在に至ったというわけです。
ちなみに、購入当時の我が家には水場がありませんでした。
風呂や便所や竈(かまど)は母屋の隣の東屋にまとめられていたらしいのですが、家の横を走る道路の拡幅工事に伴って潰されてしまったという話でした。
風呂もトイレも台所もなくては暮らせません。空き家になってから10年間も売れ残っていた最大の理由が、水場がないことでした。
そこで仕方なく、広い土間の一隅を仕切って、洋式トイレとシステムキッチン、そしてユニットバスを新設しました。
でも、便器とシステムキッチンとユニットバスを取っ払ってしまえば、また元のだだっ広い土間に戻ります。その気になれば150年前の姿に戻せるようにしたかったのです。
伝統家屋としての“素の姿”を見失わないようにリフォームや再生を図るのが、かつてこの家を建てた人たちへの敬意だと思っています。