土蔵の屋根裏に歴史あり
ご近所を散歩中、とある土蔵に目が止まりました。
屋根裏に何かが詰め込まれています。目を凝らして眺めると、六角形の大きな糸車「かせ上げ機」でした。
ははぁ、このお宅も元は養蚕農家だったんだな、と思って土蔵の裏へ回り、反対側の軒下を見上げると、底の平らな大型の竹籠が数枚、無造作に立てかけてあります。これは蚕棚(かいこだな)に並べて桑の葉を敷き、蚕を育てるための籠です。
「かせ上げ機」に「平籠(ひらかご)」。間違いなく、お蚕さんを飼っていた証拠です。
かつてこのあたりは日本最大級の生糸生産地でした。明治10年代から西欧への輸出が本格化して、大変な好景気に沸いたといいます。
残念ながら養蚕業はほぼ廃(すた)れてしまいましたが、今も町のところどころにお蚕(かいこ)さんの名残りを見かけます。
養蚕・製糸業というと、先日、ユネスコの諮問機関イコモスから世界遺産登録を勧告された群馬県の「富岡製糸場と絹産業遺産群」が有名ですが、明治時代の統計によれば、じつは桑畑の作付け面積・蚕の生産量・製糸工場数のすべてにわたって、長野県がダントツ1位だったようです。
その痕跡が、私たちの町にもまだかすかに残っているんですね。
近代史を垣間見る瞬間です。