なぜ昔の人は「冬、暖かい家」を造らなかったのだろう?
「古民家は夏涼しく、冬寒い」でも書いたとおり、日本の伝統家屋は明らかに“夏の暑さ”に万全の備えをするあまり、“冬の寒さ”にあえて目をつむっているフシがあります。
考えてみれば不思議です。地球温暖化が始まる以前の日本は、今日に比べて夏はより涼しく、冬がより厳寒だったはずだからです。
最高気温が35度を超える日が幾日も続くなんてことはなかったはずで、真夏であってもそこそこ涼しかったのではないでしょうか。
その代わり、冬は降雪量が今よりはるかに多くて、それはそれは寒かったに違いありません。
つまり、昔の人にとって、夏の暑さ対策を講じるよりも冬の寒さをどうにかすることのほうが、よほど切実だったのではないかと思うのです。
にもかかわらず、「冬、暖かい家」は造られませんでした。造ることが(技術的に)できなかったのでしょうか?
そんなことはないはずです。
というのも、古民家よりはるかに古い縄文時代の竪穴式住居は「冬、暖かい家」だったからです。

縄文人の暖かな家
(富山県朝日町の不動堂遺跡)
写真は、以前、訪ねた富山県朝日町の不動堂遺跡です。広々した芝生の公園の一角に大小3軒の縄文復元住居が建っています。これはそのうちの1棟です。
見てのとおり、竪穴式住居というのは、いわゆる古民家の屋根だけが地上に直接、載っているような格好をしています。
私たちが訪れたのは冷たい雨が降りしきる秋の夕間暮れでした。外は肌寒く、吐息が白くなるほどだったのに、竪穴式住居の内部にはふわっと暖かい空気が漂っていました。
もちろん、貴重な復元住居ですから火気厳禁。火の気はまったくありません。それでも外気温より室温のほうが高いことは明らかでした。
建物全体が厚い茅葺きで、保温性に優れているのだと思います。

アイヌ民族の暖かなチセッ
(屈斜路湖畔のアイヌ民俗資料館)
一方、こちらは北海道の屈斜路湖畔にあるアイヌ民俗資料館のアイヌチセッ。「チセッ」とは家のことです。アイヌ民族の伝統家屋を保存したもので、資料館の方に伺ったところではやはり冬の寒さに強いというお話でした。
実際、北海道にやってきた屯田兵や入植者たちは、伝統的な日本風の小屋を建てて頑張りましたが、家屋の造りが北海道の厳寒にはまるでそぐわず、凍死したり、家を遺棄して逃げ出す人が多かったようです。
先住者のアイヌたちは、なぜ和人がわざわざこんな寒い家を建てるのかと首を傾げたそうです。
アイヌチセッも上から下まで茅葺きで、保温性に優れています。夏は夏で、葦簀(よしず)張りの海の家にいるように涼しいのだそうです。
……ということは、縄文人やアイヌのように、昔の日本人だって「冬、暖かい家」は造れたはずです。ただ、“あえて造らなかった”のでしょう。
その理由が私たちにはわかりません。調べてみましたが、書いてあるものを見つけられませんでした。
あまりの寒さに肺炎にまでなった私たちとしては、ぜひ知っておきたいのです。
どなたか、ご存知の方がいらしたら、教えてください。

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考えてみれば不思議です。地球温暖化が始まる以前の日本は、今日に比べて夏はより涼しく、冬がより厳寒だったはずだからです。
最高気温が35度を超える日が幾日も続くなんてことはなかったはずで、真夏であってもそこそこ涼しかったのではないでしょうか。
その代わり、冬は降雪量が今よりはるかに多くて、それはそれは寒かったに違いありません。
つまり、昔の人にとって、夏の暑さ対策を講じるよりも冬の寒さをどうにかすることのほうが、よほど切実だったのではないかと思うのです。
にもかかわらず、「冬、暖かい家」は造られませんでした。造ることが(技術的に)できなかったのでしょうか?
そんなことはないはずです。
というのも、古民家よりはるかに古い縄文時代の竪穴式住居は「冬、暖かい家」だったからです。

縄文人の暖かな家
(富山県朝日町の不動堂遺跡)
写真は、以前、訪ねた富山県朝日町の不動堂遺跡です。広々した芝生の公園の一角に大小3軒の縄文復元住居が建っています。これはそのうちの1棟です。
見てのとおり、竪穴式住居というのは、いわゆる古民家の屋根だけが地上に直接、載っているような格好をしています。
私たちが訪れたのは冷たい雨が降りしきる秋の夕間暮れでした。外は肌寒く、吐息が白くなるほどだったのに、竪穴式住居の内部にはふわっと暖かい空気が漂っていました。
もちろん、貴重な復元住居ですから火気厳禁。火の気はまったくありません。それでも外気温より室温のほうが高いことは明らかでした。
建物全体が厚い茅葺きで、保温性に優れているのだと思います。

アイヌ民族の暖かなチセッ
(屈斜路湖畔のアイヌ民俗資料館)
一方、こちらは北海道の屈斜路湖畔にあるアイヌ民俗資料館のアイヌチセッ。「チセッ」とは家のことです。アイヌ民族の伝統家屋を保存したもので、資料館の方に伺ったところではやはり冬の寒さに強いというお話でした。
実際、北海道にやってきた屯田兵や入植者たちは、伝統的な日本風の小屋を建てて頑張りましたが、家屋の造りが北海道の厳寒にはまるでそぐわず、凍死したり、家を遺棄して逃げ出す人が多かったようです。
先住者のアイヌたちは、なぜ和人がわざわざこんな寒い家を建てるのかと首を傾げたそうです。
アイヌチセッも上から下まで茅葺きで、保温性に優れています。夏は夏で、葦簀(よしず)張りの海の家にいるように涼しいのだそうです。
……ということは、縄文人やアイヌのように、昔の日本人だって「冬、暖かい家」は造れたはずです。ただ、“あえて造らなかった”のでしょう。
その理由が私たちにはわかりません。調べてみましたが、書いてあるものを見つけられませんでした。
あまりの寒さに肺炎にまでなった私たちとしては、ぜひ知っておきたいのです。
どなたか、ご存知の方がいらしたら、教えてください。

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