安曇野ルーツの“偉人”が、オバマ大統領から勲章を授与されました
長野が教育県だという話は、昔からよく耳にします。信州は明治の初めの段階で、すでに小学校就学率が堂々の第1位、寺子屋の数でも全国一を誇っていたそうです。
ただ、教育の優位性とは、率や数で決まるものではありません。
信州の教育ポリシーがユニークなのは、「教育は人格形成が大切であり、知識はその次」という哲学が早くから確立していた点だそうです。
今日で言うところの「人格教育」の考え方です。
これを最初に提唱したのが、安曇野に「研成義塾(けんせいぎじゅく)」という、寺子屋に毛が生えたような私塾を創立した、井口喜源治(いぐちきげんじ)だと言われています。

井口喜源治(いぐちきげんじ)
東京で慶応義塾を開いた福沢諭吉などに比べると、研成義塾も井口喜源治もかなりマイナーな存在です。私たちも、この地へ来るまで寡聞にしてその存在を知りませんでした。
井口の研成義塾では「偉い人」ではなく、「善い人」を育てることを目標にして、後に実業家や言論人、芸術家になる逸材を数多く育てたそうです。
因襲に囚われた当時の農村出身の塾生たちに、井口は「自由と独立」の大切さをこんこんと語り聞かせました。
その結果、卒業生の多くは信州に留まり、善き郷土人、善き家庭人として故郷の発展に尽くしたといいます。
一方、研成義塾を卒業後、移民となってアメリカ本土へ渡っていった安曇野出身者もいました。そんな移民の息子に、ゴードン・ヒラバヤシという日系二世がいます。
今年1月、93歳で天寿を全うした社会学者です。
日本ではあまり知られていませんが、アメリカの日系社会では泣く子も黙る偉人としてたいへん尊敬されている方だそうです。

ゴードン・ヒラバヤシ
2012年5月29日、故・ヒラバヤシ氏に対して、文民として最高位の勲章「大統領自由勲章」が授与されることになりました。オバマ大統領自身がホワイトハウスで未亡人に勲章を手渡し、氏の栄誉を称えました。
ヒラバヤシ氏は、第二次世界大戦中のアメリカ政府による日系人の強制収容に公然と抵抗し、逮捕・起訴・刑務所送りとなりながら、日経市民の権利獲得のために闘い続けた人物です。
連邦最高裁まで争い、戦時中の1943年に敗訴して有罪判決が確定しましたが、87年に強制収容そのものが違法だったという判決が出て名誉回復。アメリカにおける日系公民権運動の歴史にその名を刻んだのでした。
88年に日本に招かれて安曇野・穂高で講演した際、ヒラバヤシ氏は、
「(日系一世の)両親から井口喜源治のことを聞いて育った」と語ったそうです。
正義のために命を賭けて闘った氏のブレない姿勢の原点には、井口が説いた“自由と独立”そして“偉き人よりも善き人たれ”の思想があったに違いありません。
ゴードン・ヒラバヤシ氏の大統領自由勲章は、安曇野にとっても大いなる誉れだと思います。
【井口喜源治記念館】
大きな地図で見る

ブログランキングに参加しています。クリックをお願いします。
ただ、教育の優位性とは、率や数で決まるものではありません。
信州の教育ポリシーがユニークなのは、「教育は人格形成が大切であり、知識はその次」という哲学が早くから確立していた点だそうです。
今日で言うところの「人格教育」の考え方です。
これを最初に提唱したのが、安曇野に「研成義塾(けんせいぎじゅく)」という、寺子屋に毛が生えたような私塾を創立した、井口喜源治(いぐちきげんじ)だと言われています。

井口喜源治(いぐちきげんじ)
東京で慶応義塾を開いた福沢諭吉などに比べると、研成義塾も井口喜源治もかなりマイナーな存在です。私たちも、この地へ来るまで寡聞にしてその存在を知りませんでした。
井口の研成義塾では「偉い人」ではなく、「善い人」を育てることを目標にして、後に実業家や言論人、芸術家になる逸材を数多く育てたそうです。
因襲に囚われた当時の農村出身の塾生たちに、井口は「自由と独立」の大切さをこんこんと語り聞かせました。
その結果、卒業生の多くは信州に留まり、善き郷土人、善き家庭人として故郷の発展に尽くしたといいます。
一方、研成義塾を卒業後、移民となってアメリカ本土へ渡っていった安曇野出身者もいました。そんな移民の息子に、ゴードン・ヒラバヤシという日系二世がいます。
今年1月、93歳で天寿を全うした社会学者です。
日本ではあまり知られていませんが、アメリカの日系社会では泣く子も黙る偉人としてたいへん尊敬されている方だそうです。

ゴードン・ヒラバヤシ
2012年5月29日、故・ヒラバヤシ氏に対して、文民として最高位の勲章「大統領自由勲章」が授与されることになりました。オバマ大統領自身がホワイトハウスで未亡人に勲章を手渡し、氏の栄誉を称えました。
ヒラバヤシ氏は、第二次世界大戦中のアメリカ政府による日系人の強制収容に公然と抵抗し、逮捕・起訴・刑務所送りとなりながら、日経市民の権利獲得のために闘い続けた人物です。
連邦最高裁まで争い、戦時中の1943年に敗訴して有罪判決が確定しましたが、87年に強制収容そのものが違法だったという判決が出て名誉回復。アメリカにおける日系公民権運動の歴史にその名を刻んだのでした。
88年に日本に招かれて安曇野・穂高で講演した際、ヒラバヤシ氏は、
「(日系一世の)両親から井口喜源治のことを聞いて育った」と語ったそうです。
正義のために命を賭けて闘った氏のブレない姿勢の原点には、井口が説いた“自由と独立”そして“偉き人よりも善き人たれ”の思想があったに違いありません。
ゴードン・ヒラバヤシ氏の大統領自由勲章は、安曇野にとっても大いなる誉れだと思います。
【井口喜源治記念館】
大きな地図で見る



ブログランキングに参加しています。クリックをお願いします。