書院造りのガラス細工は究極の職人技
かつて私たちの家に住んでいた人たちは、名主や庄屋など地元の有力者だったそうです。さらに遡ると落ち武者が山間部に逃げ延びて定着した“元・武士”だったとも聞いています。
時代が下り、明治元年に一旦、解体されて安曇野に移築されたこの家は、養蚕とタバコの葉の生産農家に買い取られて一世を風靡します。
しかし、戦後、養蚕業の凋落とタバコ葉の生産縮小で集落は勢いをなくし、若者は里へ下ってしまいました。
残されたのは、主をなくしたバカでかい古民家ばかり。ご縁があって私たちが住み暮らすことになりましたが、家のあちこちに往時の“栄華”の残滓が見られます。
たとえば、この書院造りの和室。本床(ほんどこ)といわれる本格的な床の間の脇に、庭に面して細工を施した障子が設けてあります。

この障子の一面を、建築用語では「書院」というそうです。
「書院」には出窓形式の「付書院(つけしょいん)」と、出っ張りのない「平書院(ひらしょいん)」がありますが、我が家のものは平書院です。

さて、この平書院をよく眺めると、組子(くみこ)とも呼ばれる細かな木の格子で組まれていて、障子紙の代わりにガラスがはめてあります。
昔は紙だったのでしょうが、後の時代にガラスに入れ替えたのでしょう。
そのガラス(擦りガラス)の表面に、左右一対の風景画が彫られているんです。
絵を指の腹で触ると、わずかに凸凹しているので、後から削って描いたものだとわかります。正確には、絵柄の部分を透明に残して周囲を研磨し、擦りガラスに仕上げたものでしょう。
左右の絵を見比べると、若干ですが絵の形が違います。型紙を当てて回りを削る際に、ズレが生じて仕上がりが変わってきたんじゃないかと思います。

子供の頃、格式のあるお家などに伺うと、こんな絵入りのガラスが建具に使われていた記憶もありますが、最近はとんとお目にかかりません。今ではもう、ほとんど作られていないんじゃないでしょうか。
こんな手間暇のかかるものをわざわざ使うなんて、昔の人は粋だったんだなぁ…と、つくづく感心させられます。
美術品的な価値はありませんが、割ってしまったら、おそらく二度と同じものは手に入らない貴重なガラス絵。大切に使い続けたいと思います。

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時代が下り、明治元年に一旦、解体されて安曇野に移築されたこの家は、養蚕とタバコの葉の生産農家に買い取られて一世を風靡します。
しかし、戦後、養蚕業の凋落とタバコ葉の生産縮小で集落は勢いをなくし、若者は里へ下ってしまいました。
残されたのは、主をなくしたバカでかい古民家ばかり。ご縁があって私たちが住み暮らすことになりましたが、家のあちこちに往時の“栄華”の残滓が見られます。
たとえば、この書院造りの和室。本床(ほんどこ)といわれる本格的な床の間の脇に、庭に面して細工を施した障子が設けてあります。

この障子の一面を、建築用語では「書院」というそうです。
「書院」には出窓形式の「付書院(つけしょいん)」と、出っ張りのない「平書院(ひらしょいん)」がありますが、我が家のものは平書院です。

さて、この平書院をよく眺めると、組子(くみこ)とも呼ばれる細かな木の格子で組まれていて、障子紙の代わりにガラスがはめてあります。
昔は紙だったのでしょうが、後の時代にガラスに入れ替えたのでしょう。
そのガラス(擦りガラス)の表面に、左右一対の風景画が彫られているんです。
絵を指の腹で触ると、わずかに凸凹しているので、後から削って描いたものだとわかります。正確には、絵柄の部分を透明に残して周囲を研磨し、擦りガラスに仕上げたものでしょう。
左右の絵を見比べると、若干ですが絵の形が違います。型紙を当てて回りを削る際に、ズレが生じて仕上がりが変わってきたんじゃないかと思います。

子供の頃、格式のあるお家などに伺うと、こんな絵入りのガラスが建具に使われていた記憶もありますが、最近はとんとお目にかかりません。今ではもう、ほとんど作られていないんじゃないでしょうか。
こんな手間暇のかかるものをわざわざ使うなんて、昔の人は粋だったんだなぁ…と、つくづく感心させられます。
美術品的な価値はありませんが、割ってしまったら、おそらく二度と同じものは手に入らない貴重なガラス絵。大切に使い続けたいと思います。



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