蚕棚(かいこだな)はありませんが、お蚕さんの“ささやき”が聞こえてきそうです
私たちの家は、明治の初めから養蚕を営む農家の持ち家でした。
登記簿によれば家屋の種類は「養蚕住宅」(!)、築年は「明治1年」(!)と記されています。
元の所有者である農家が、なぜこの家を手放すに至ったかについては「『水』の字の鬼瓦は見ていた!」に書きましたので、そちらをお読みいただきたいのですが、さて、実際のところ、どんなふうにしてカイコを育てていたのでしょうか?
残念ながら、養蚕農家を伺わせるような農具などはほとんど残っていません。わずかに、育った繭玉(まゆだま)を収穫する際に使った「繭毛羽取機(まゆけばとりき)」が1台、すっかり錆び付いて土間に転がっているばかりでした。

これが繭毛羽取機(まゆけばとりき)
しかし、家の構造を眺めてみると、なるほどこの家が養蚕用だったことがわかります。
土間と囲炉裏部屋は吹き抜け天井ですが、それ以外の部分には2階が設けてあります。そこに蚕棚(かいこだな)が整然と並んでいたのでしょう。

我が家の2階。たぶん、ここに蚕棚が…
以前、お邪魔した古民家の2階には、写真のような蚕棚が往時のまま、保存されていました。

とある古民家に残っていた蚕棚
また、古民家で陶芸をなさっているご近所のお宅では、制作中の作品を並べて陰干しするのに蚕棚を使っていらっしゃいました。

陶芸家のお宅では、今も蚕棚が使われていました
きっと我が家の2階にも、このような蚕棚が何十台も並んでいたのではないかなと思います。
今ではご近所で屋根裏にカイコを飼っていらっしゃるお宅は皆無ですが、がらんとした2階に立って目をつむると、桑の葉を無心に食べるお蚕さんのカサコソいう“ささやき”が聞こえてきそうです。

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登記簿によれば家屋の種類は「養蚕住宅」(!)、築年は「明治1年」(!)と記されています。
元の所有者である農家が、なぜこの家を手放すに至ったかについては「『水』の字の鬼瓦は見ていた!」に書きましたので、そちらをお読みいただきたいのですが、さて、実際のところ、どんなふうにしてカイコを育てていたのでしょうか?
残念ながら、養蚕農家を伺わせるような農具などはほとんど残っていません。わずかに、育った繭玉(まゆだま)を収穫する際に使った「繭毛羽取機(まゆけばとりき)」が1台、すっかり錆び付いて土間に転がっているばかりでした。

これが繭毛羽取機(まゆけばとりき)
しかし、家の構造を眺めてみると、なるほどこの家が養蚕用だったことがわかります。
土間と囲炉裏部屋は吹き抜け天井ですが、それ以外の部分には2階が設けてあります。そこに蚕棚(かいこだな)が整然と並んでいたのでしょう。

我が家の2階。たぶん、ここに蚕棚が…
以前、お邪魔した古民家の2階には、写真のような蚕棚が往時のまま、保存されていました。

とある古民家に残っていた蚕棚
また、古民家で陶芸をなさっているご近所のお宅では、制作中の作品を並べて陰干しするのに蚕棚を使っていらっしゃいました。

陶芸家のお宅では、今も蚕棚が使われていました
きっと我が家の2階にも、このような蚕棚が何十台も並んでいたのではないかなと思います。
今ではご近所で屋根裏にカイコを飼っていらっしゃるお宅は皆無ですが、がらんとした2階に立って目をつむると、桑の葉を無心に食べるお蚕さんのカサコソいう“ささやき”が聞こえてきそうです。



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