手頃な古民家がなかなか売りに出されない理由

安曇野の廃屋になった古民家
「古民家の再生や保存は広まっているの?」の項でも書きましたが、都会モンが住みたくなるような“様子のいい”古民家は、じつはなかなか売りに出されません。
築100余年の趣のある民家が、あっけなく建て壊されて更地に戻ってしまったり、増改築を繰り返しているうちに原型をとどめない異形の建築物になったりといったケースが多く、オリジナルの素朴な姿で残っている古民家は意外に少ないものです。
たまさか古き良きたたずまいをとどめる古い民家が見つかったとしても、何年も放ったらかしにされていて、屋根が抜けたり壁が崩落していたり…もはや人が住める状態じゃないことも多いのです。
私たちの暮らす安曇野でも、古民家の売り出し物件はそんなに多くはありません。周辺を歩くと空き家の古民家がちらほら見つかります。でも、大半はボロボロ。朽ち果てるに任せているのが現状です。

もはや手のつけようもありません
なぜでしょうか?
理由は簡単です。地権者が売りたがらないからです。
古民家に長年、一人暮らしを続けてきたおじいさん、おばあさんが亡くなると、土地と家の所有権は子供たちなど親族に移ります。かつて大家族で暮らしていた子供たちは、都会に出たり、里に降りたりして、今では集落に戻ってくるのは盆暮れぐらいです。
しかし、おじいさん、おばあさんが亡くなったのを機に田舎へ帰ろうという人は、ごくひと掴みです。農業で食べていくのが難しい昨今、ほかにめぼしい仕事のない集落へ家族を伴ってUターンするのは大変なリスクを伴うからです。
となると、田舎の家屋敷は売るか、売らずに放っておくしかありません。この時、「売る」という選択をしてくれれば、手頃な古民家が中古物件市場に流れます。所有者の世代交代が進んで、古民家の再生や保存にも広がりが出てきます。
ところが、実際には“塩漬け状態”になる物件が大半です。なぜ、子供たちは田舎の古民家を手放さないのでしょうか?
よく言われるのは、
(1)田舎の人は土地への執着が強く、おいそれと手放さない。
(2)土地を手放すと近所から「貧乏した」と言われるため、売るに売れない。
といった説明です。
ある意味、当たらずとも遠からずと思うのですが、ではどうして、田舎の人は土地に執着するのでしょう? なぜ、土地を売ると周囲から後ろ指を指されるのでしょう?
私たちが地元の方々に聞いたところでは、(1)のいちばんの理由は「そこにお墓があるから」らしいのです。
ご存じのように、安曇野は道祖神で有名です。ちょっと歩けば、道端にかわいい双体道祖神が見つかります。ですが、じつを言うとその道祖神の何倍もお墓があるのです。安曇野は--安曇野に限らず日本の農村地帯は--どこを歩いてもお墓だらけです。

信州の典型的なお墓。田畑の脇や裏山にあります
新しい墓石の奥に、縁が摩耗した昔の墓石が重なるようにして立っています。明治や江戸時代、さらにはもっと古い時代のご先祖様の墓が風雪に耐えて苔蒸しています。
これらの墓場は家の敷地の外れにあって、そこでは最近まで土葬が行われていました。おじいさん、おばあさんの代ぐらいまでは、亡くなると村の男衆が墓場の空いたところに穴を掘って、亡骸を埋めて弔ったそうです。
私たちの住んでいる一帯でも、20世紀の終わりぐらいまでは土葬の習慣が残っていたといいます。わずか10年ほど前の話です。
つまり、先祖代々の“お骨”が相当量、家の外れや集落周辺に埋まっているわけです。ご先祖様を置き去りにして土地を他人に譲り渡すことはできない相談なのです。

古いお墓や磨耗したお地蔵さん。この下にご先祖さまが埋葬されています
また古民家が残っている農村地帯は、地目が「農地」や「原野」だったりすることが多く、固定資産税が安いのが特徴です。売らずに持ち続けていても税金はほとんど(あるいはまったく)かかりません。
維持のための経済的負担が軽微なのに、それでも手放そうとすれば、集落の人たちから「墓守を放棄した」「ご先祖様を疎かにした」と白い目で見られます。「心が貧しくなった」というわけです。(2)の「貧乏した」とは、目先のお財布の中身のことばかりではなくて、じつはそのような“心の貧しさ”をも指しているらしいのです。
かくして古民家は空き家になってもなかなか売りに出されず、集落では過疎化が進み、一帯は草深い広大な“墓所”へと淋しげに変貌していきます。
先祖を大切にする日本人の美しい心…意外にもそれが集落の墓場化につながっているというのです。
古民家保存の道のりは険しいというほかありません。

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