古民家の再生や保存は広まっているの?

安曇野の廃屋
2010年7月31日(土)付の朝日新聞「天声人語」に、古民家鑑定士の資格を作った井上幸一さんを紹介する文章が載っていました。その中に、
▲古い民家の再生や保存が広まっている。
という一文があったのが、ちょっと気になりました。
本当でしょうか? 過去1年間、信州の古民家物件をあちこち見て回った私たちの印象とは、かなりかけ離れた認識に思えたからです。
誤解のないように説明しておきますが、これは井上さんがおっしゃった言葉ではありません。朝日新聞社の社員である天声人語の筆者の“所見”です。
たぶん「古い民家の再生や保存が広まってほしい」という願いが筆者の根っこのほうにあって、きちんと調べずに書いたのだと思います。動機が善意に拠って立つようですので、けしからんとか間違っているとか言うつもりはありません。ただ、その認識はちょっと甘いんじゃないの?…と思うのです。
そもそも、古民家の再生や保存に関する全国的な統計とかデータとかいうものは存在しません。再生や保存が広まっているかどうかなんてことは、数量的には捉えられないはずです。
となると、実態は古民家の現場を歩いて知るしかないのですが、たまたま過去1年間、家探しをして信州各地を回った私たちは、古民家が再生されたり、保存されたりする麗しい光景に出くわしたことはただの一度もありません。事態はむしろ正反対でした。
△古い民家の再生や保存は進まず、伝統家屋は存亡の危機に瀕している。
というのが、より現実に近い認識じゃないかと思います。
かつて都市部にあった古民家はほとんど新建築に建て替えられ、姿を消してしまいました。いま古民家が残るのは過疎化の進む農村地帯です。
信州の農村部をドライブしていると、茅葺き屋根の家や、茅葺きの上にトタンを被せた古い家がポツポツと建っている村落を、まだところどころに見かけます。
近づいてクルマのスピードを落とし、外側から眺めてみるだけで、つぎのようなことがわかってきます。
●昔ながらの古民家の原形をとどめている建物ほど、空き家であることが多い。
●人が住んでいる家は増改築を繰り返して、すでに原形をとどめていないことが多い。
●オーソドックスな古民家に手を加えて、原形に近い形で再生した建物はほとんど見当たらない。
つまり信州各地を歩く限り、古民家再生や保存のお手本となる事例はあまり見つからず、逆に朽ち果てるにまかせている伝統家屋の無残な姿ばかりが目につくのです。
考えてみればこれは当然のなりゆきかもしれません。伝統的な日本の家屋は夏は涼しいが冬寒く、全室和室で洋風生活になじみにくく、火事に弱いという致命的な弱点を抱えています。再生や保存なんてことより、更地に戻して一からツーバイフォーで新築したほうが、どんなにか住みやすいことでしょう。
新築する費えがない場合は、次善の策として増築や改築を施し、洋間や水回りを現代風に付け足すのが現実的な対処法です。大昔に建った民家でも、継ぎ足し継ぎ足ししいけば、それなりに住みやすい我が家にバージョンアップしていきます。
ただし、屋上屋を架すたびに家はフランケンシュタイン化して、見た目にも、また構造的にももはや「伝統的軸組(じくぐみ)工法」で作られた家ではなくなっていくものです。
家屋は生活の場ですから、フランケンシュタインだろうが何だろうが快適ならまったく構わないと思います。不便を耐え忍ぶより合理的に、安全に暮らすべきです。でも、古い民家の再生という観点からすると、確実に方向性がズレていきます。
では、更地に戻してツーバイフォーで建てる資金も、増改築の予算もない場合はどうなるでしょう? 残念ながら放っておくしかありません。
信州では、一人暮らしのおじいさんやおばあさんが亡くなり、都会や里へ出てしまった子供たちが田畑と一緒に古民家を相続したものの処分に困って、そのままにしているケースが多いようです。
放置された古民家は風雨にさらされて、やがて朽ち果てます。屋根が抜け雨水が流れ込んで、今にも倒壊しそうな古民家を見ると、胸が張り裂けそうな気持ちになってきます。
古民家を相続した遺族が早めに手放す覚悟を決めて売りに出してくれれば、程度のいい建物が次のオーナーに渡り、再生や保存につながります。しかし、遺族が処分を後回しにしたために建物の老朽化が一気に進み、解体するしかなかったというケースのほうが圧倒的に多いようです。
古民家の再生と保存を本気で考えるなら、公が税法上の優遇措置などの施策を取っていく必要があるのではないでしょうか。信州の現状を見る限り、そういう時期に来ていると思います。

倒壊寸前です

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