我が家の前々オーナーで元・地主のオジサンが、2年ぶりに何の前触れもなくやってきました。
タケノコ刈りの帰りだというオジサンの手には、A3版の茶封筒が握られています。
「これを差し上げようと思ってね。以前からクルマの中に入れといたんだ」
そう言って差し出された封筒の中身は、大判の印画紙でした。封筒から出してびっくり!
なんとそれは、
在りし日の我が古民家の写真だったのです。
「在りし日」というのは、以前にも書きましたが、かつてこの家には母屋の横に
土蔵が建っていたのです。
ところが、この土蔵が道路の拡張工事に引っかかり、撤去されてしまいました。それがきっかけで、当時、土蔵に暮らしていた地主さん一家は里へ下りる決心をしたのでした。
前々オーナー一家が、母屋に住まずにあえて土蔵暮らしを続けていた事情については
「『水』の字の鬼瓦は見ていた!」の項に書いたので、そちらをお読みください。
まあ、いろいろあった末に土蔵は取り壊され、母屋も人手に渡ってしまったのでした。
以来、30年近い歳月が流れ、ご縁があって私たちがこの家を引き継ぐことになりました。
今回、前々オーナーのオジサンがくださった写真を改めて眺めてみると、道路側にかなりはみ出すような形で白い土蔵が建っていたことがわかります。
現在は、ご覧のとおり。土蔵が撤去されて道幅は2車線に広がりました。
古い写真をよく見ると、母屋の手前にブルーのトタン屋根と瓦屋根の小屋のようなものが写っています。一体これは?
「トタン屋根のほうが
倉庫兼風呂場。その隣は
厠。昔は、水回りを母屋の中に作らなかったからねぇ…」
トイレと風呂場が玄関の正面に並んで建っていたというのです。
さらに驚いたことには母屋の反対側にも、写真に写っているのと同じような土蔵がもう1つ、あったんだとか。
つまり、猫の額のような我が家の敷地いっぱいに、大小5つの建物が所狭しとひしめいていたというわけです。
昔の山里暮らしでは、限られた平地をいかに有効活用するかが生命線だったのでしょう。
「あんたがたが、私の生まれた家をこんなふうにきれいに手入れして保存してくれてるのが嬉しくて嬉しくて。ぜひとも、この写真を渡そうと思って来たんだよ」
と、オジサン。
ありがたいことです。写真は我が家の家宝にさせていただきます。
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テーマ : 信州
ジャンル : 地域情報