床の間の藤壺(ふじつぼ)に究極の御大尽(おだいじん)を見た!
栗と北斎の町・小布施(おぶせ)を日帰りで見て回りました。
一帯には様子の良い町家があちらこちらに残っていて、古民家マニアの私たちにはこたえられないスポットでした。
なかでもこちらの「翛然楼(ゆうぜんろう)」は、小布施きっての大富豪にして葛飾北斎の大旦那だった高井鴻山(たかい こうざん)の書斎だった建物。小布施町の史跡に指定されています。
築200年以上経っているはずですが、手入れが行き届いていて全然ガタピシきていません。
二階の客間中央には鴻山愛用の趣のある火鉢が置かれています。鴻山はこの部屋で北斎に絵の教えを請い、また幕末には佐久間象山や勝海舟と激論を戦わせたといいます。
客間のさらに奥に進むと、ご覧のこぢんまりした奥座敷が現れます。
床の間には鴻山の漢詩の掛け軸が掛かっています。掛け軸の上のほうを見るともなしに眺めていたら、おや?…何だ、この凸凹ザラザラした壁面は?
天井と床の間との間の細長い壁が、妙に立体的に浮き上がって見えるのです。
石灰のような白さに、ところどころ薄紫色のものが混じっています。
間近で観察してびっくり。な、なんとそれらはすべて藤壺(ふじつぼ)でした。
左右に渡した板の表面に藤壺がびっしり付着しているじゃありませんか!
剥がれた跡が残っているので、おそらく完成当時はもっと密に付いていたはずです。
江戸時代には接着剤なんてありませんから、たぶん製材した板を海水に浸して藤壺がくっ付くまで気長に待ったのでしょう。
各地の古民家を趣味で見て回っている私たちですが、藤壺を床の間の壁にあしらった例など見たことがありません。
しかも海の無い信州でこんなことをしているんですから…究極の贅沢、御大尽(おだいじん)の為せる技としか言いようがありません。
さすが北斎の大スポンサー高井鴻山。恐れ入りました。
一帯には様子の良い町家があちらこちらに残っていて、古民家マニアの私たちにはこたえられないスポットでした。
なかでもこちらの「翛然楼(ゆうぜんろう)」は、小布施きっての大富豪にして葛飾北斎の大旦那だった高井鴻山(たかい こうざん)の書斎だった建物。小布施町の史跡に指定されています。
築200年以上経っているはずですが、手入れが行き届いていて全然ガタピシきていません。
二階の客間中央には鴻山愛用の趣のある火鉢が置かれています。鴻山はこの部屋で北斎に絵の教えを請い、また幕末には佐久間象山や勝海舟と激論を戦わせたといいます。
客間のさらに奥に進むと、ご覧のこぢんまりした奥座敷が現れます。
床の間には鴻山の漢詩の掛け軸が掛かっています。掛け軸の上のほうを見るともなしに眺めていたら、おや?…何だ、この凸凹ザラザラした壁面は?
天井と床の間との間の細長い壁が、妙に立体的に浮き上がって見えるのです。
石灰のような白さに、ところどころ薄紫色のものが混じっています。
間近で観察してびっくり。な、なんとそれらはすべて藤壺(ふじつぼ)でした。
左右に渡した板の表面に藤壺がびっしり付着しているじゃありませんか!
剥がれた跡が残っているので、おそらく完成当時はもっと密に付いていたはずです。
江戸時代には接着剤なんてありませんから、たぶん製材した板を海水に浸して藤壺がくっ付くまで気長に待ったのでしょう。
各地の古民家を趣味で見て回っている私たちですが、藤壺を床の間の壁にあしらった例など見たことがありません。
しかも海の無い信州でこんなことをしているんですから…究極の贅沢、御大尽(おだいじん)の為せる技としか言いようがありません。
さすが北斎の大スポンサー高井鴻山。恐れ入りました。